コラム

2014年6月26日(木)

他者は思っているよりも愚かではない、部分最適化をしているだけ。

松波 晴人

 あなたが、ある自動車販売会社(ディーラー)で働き始めたとしよう。ディーラーの仕事は、当たり前であるが、なるべく多くのクルマを販売することである。

 ある日、お客さまからクレームがあった。
「あるクルマの商談をして、営業マンのAさんに、『オプションのフロアマットを無料で付けてくれたら買う』、という交渉をした上で契約した。納車が済んで、そのオプションはしっかり付いていたが、明細には書いていない。どういうわけだろうか?何か普通と違うやり方をしているのではないか?」

 その販売会社では、全社的にクレームを共有する仕組みがあり、定期的に店舗の全員を集めて特定のクレームについて対策を議論した上で本社に報告する義務がある。店舗の全員が集められた会議で、本社に報告するため、このクレームのことが取り上げられた。その会議での対策についての議論を見ていたあなたは、不思議な気分を味わうことになる。なぜなら、議論は本質的ではなかったし、まるっきり再発防止につながることのない対策をとることでみなが合意したからである。

 そんなとき、あなたはどうこの実態を解釈するだろうか?
「本質的な課題がみんな理解できていないなあ。どうしてこれだけ優秀な人が集まってこんな結論しか出せないんだろうか。特に店長は頭が切れる人なのに、どうしてこんなことを許しているんだろう」とあなたは考えるだろうか?

 問題の本質は「販売成績を伸ばすために、営業担当者が自腹を切ってオプションを購入していることがある」という点にあった。フロアマットそのものは3万円ほどであるが、販売会社の上層部はその値引きを許してこなかった(利益を減らすことにつながるため)。営業担当者は、上に相談しても値引きしてくれないのは分かっていたので、人によっては自腹を切ることがあったのである。会議で合意された対策は、「お互い注意すること」であったので、なんら本質的な解決にはつながらない。

 こういうときに、「本質が理解できないのは愚か」という結論にすぐに飛びつくのはお勧めしない。この「その人が愚かだから」という解釈方法を、我々は取りがちであるので要注意である。この時、さらに考えないといけないのは、「本質的なことをしないほうが賢い」という判断がなされたのではないか、という可能性である。つまり、なんらかの理由でもって、「本質的な手を打たず、実質的に何の影響ももたらさない対策を打ったことにした方が、うまくいく」と“頭の切れる店長“が判断したのかもしれないのである。

 「その人が愚かだから」という解釈で安心してしまうのではなく、常に「なぜ?」を考える必要があるのは、こういった場面である。店長は「愚か」ではないので、販売員が自腹を切る実態が本質的な問題であることは重々理解している。しかし、そこに手を入れると、かえって現場が混乱し、現状のバランスが崩れるかもしれない。本社もそんな実態は聞きたくないし、店長が「本質的な課題です」と持ち出しても黙殺されるかもしれない。ならば、「対策を打ったことにして」本社にも報告し、「すべてうまく行っていますよ」とした方が、自らも都合がいいのかもしれない。

 もちろん、これはこれで推論であるので、絶対に正しいとは限らない。しかし、この方が現状をうまく説明できるので、妥当性が高そうである。

 そして、それで話は終わらない。いくらシステムとして「本質的な課題を解決する」仕組みができていたとしても、結局運用するのは人間であり、その運用に影響を与えるのは組織文化なので、このような文化の企業では、いくら「本質的な課題認識」があり、「それを解決する仕組み」があっても、いつまでたっても本質的な課題が解決されることはない。

 この店長は「賢い」かもしれない。しかし、それは「部分最適化」という意味で賢いだけであって、「全体最適化」や「長期的な観点での企業の成長」という観点からすれば、「賢い」とはいえない。組織の文化そのものは「愚か」と言える。現場には「あきらめ」感があり、活気やモチベーションが失われているかもしれない。つまり、「賢い」と「愚か」は観点が変われば簡単に真逆にとらえることが可能なのである。

 このようなことは、大きな組織であればどこでも起こっているのではないだろうか。結局は、組織の意識の高さと意思の強さ、そして大事にする価値をいかに全社でしっかりと共有するか、というところに問題が帰結される。最後は必ず、「自社はいったい何のために存在しているのか」「世の中にどう貢献するために日々頑張っているのか」という問いに戻ってくる。

 これらのことも含めて、行動観察を特集するハーバードビジネスレビュー誌8月号(7月10日発売予定)に寄稿しましたので、機会があればぜひお読みいただければ、と思います。