コラム

2014年11月27日(木)

「大失敗することを目的としたプロジェクト」を一緒にやりませんか?

松波 晴人

「失敗」とは何だろうか?

 みなさんは、「失敗」と聞いてどういう状況を思い浮かべるだろうか?

 我々は、当然ながら「失敗」することを恐れる。異性にアタックするのなら、「失敗」せずに「成功」させたいし、新規事業を起こすのであれば、「失敗」せずに「成功」させたい。これらの場合、「失敗」とは、「フラれる」「事業が儲からずに頓挫する」ということを意味する。また、「成功」とは「恋愛が成就する」「事業が利益をあげる」ということを意味する。

 もちろん、「フラれる」よりは「成就する」ことのほうがずっといいし、「儲からない」より「儲かる」方がずっと喜ばしい。ただ、あまりに「失敗」することを忌避しすぎていないだろうか? 最近では、「失敗」することを回避するだけでなく、「失敗する可能性のあること」も避けて通ることが多い。「これはコンプライアンスにひっかかるかもしれない」「これは情報のセキュリティ上よくないかもしれない」というように、「それをすると怒られるかもしれない禁止事項」が増えている。

 もしあなたが、自分の組織で「失敗するかもしれないが、ぜひやらせてほしい」と主張して認められるのであれば、それはかなり恵まれた環境にいると考えるべきである。今そういうことを言うと、普通は「それがうまくいくということを先に証明しなさい。証明できなければやることはできない」と言われてしまうだろう。

 しかし、そもそも「失敗」とは何だろうか?ここでみなさんも一度じっくり考えてみていただきたい。「失敗って何?」と。アインシュタインは、こういう言葉を残している。

 Anyone who has never made a mistake has never tried anything new.
 一度も失敗をしたことがない人は、何も新しいことに挑戦したことがない人である。
 行動観察研究所のワークショップルームには、この言葉を壁に貼ってある。肝に銘じるためである。

 ここで言う「失敗」とは、「これまでやったことのないことにチャレンジした結果」である。誰でも、「異性にアタックする」、「新規事業を手掛ける」のに、初めて、がある。一度も失恋することなく、理想の相手と結ばれる人はどれぐらいいるだろうか?そういう人がいたとしてもそれはむしろレアケースであり、ラッキーではあるだろうけれども、そういう人が「強い」人かどうかはまた別問題である。

意思決定の草食化

 「これまでやったことのないことにチャレンジする」ということが、どれだけ重要か、ということに気づく必要がある。たとえば、外国に行ったことのない人が、外国に行ってみる。バンジージャンプをやったことのない人が、バンジーをやってみる。そうすると、どういうことが起こるだろうか。実は、そういう「新たなチャレンジ」をしてみると、「新たな気づきを得て、発想の枠組みが広がる」のである。

 外国に行ってみたら、財布をすられたとしよう。そこだけを見ればそれは「失敗」である。しかし、それから「学び」を得れば、それはもはや「失敗」ではない。重要な「知恵」を手に入れたことになる。日本にいれば、そういった「失敗」は起こらなかったかもしれない。しかし、「絶対失敗しない」ために「外国に行かなければよい」というのは、短期的には良さそうに見えても、長期的に見れば大きな損失である。先日出逢ったあるアメリカ人の学生が、「日本に行きたい。異文化に触れることで、自分自身を理解したい」と言っていたが、まさにこれが私の言いたいことである。

 しかし、実際には「失敗」は忌避される。「失敗しそうなこと」も、「失敗のにおいがすること」も、避けられる。そうしてリフレームはいつまでたっても起こらない。同じ枠組みの中でまわり続けていることで着実にゆっくりと弱っていく。これが今いろんな企業で起きていることではないだろうか?

 これは、医者の仕事で考えるとわかりやすい。あなたが体の不調を感じたとする。どういう病気になったのかがわからないので病院に行く。医者はあなたから、症状を子細に聞き取りをする。さらに血液検査や心電図を取ったりして、情報を集める。医者は得られたファクトから豊富な医学的知識をもとにして、診断をくだす。「あなたは●●という病気だと考えられます」と。そして「こういう治療をしていきましょう」という提案をする。 もし、ここであなたが、「その診断は100%間違いありませんか?」と聞けば、医者は「100%そうだとは言い切れません。別の病気の可能性ももちろんあります」と言うであろう。情報は常に限られているし、その段階で「100%の確証」を求めるのは、無理な相談である。あなたがもし「違う病気の可能性もあるのであれば、その治療法を受け入れることはできません」と言えば、医者はいつまでたっても「治療」の段階に移ることができない。

 このようなことがあなたの組織でも起きていないだろうか?つまり、100点の正解でなければ、アクションを取ることができない、という現象である。「彼女が100%受け入れてくれる」という確証がなければアタックしない、「この新規事業が100%うまくいく」という確証がなければ実施できない、これが「意思決定の草食化」である。

創造性と失敗の関係

 最近つとに感じるのは、「創造性は、すべての人間が持っている能力」ということである。すべての人が「創造性」の「芽」を持っている。ただ、その「芽をふかせる環境」がないので、いつまでたっても「芽」が出てこないだけではないか。どの組織にも「創造性」をそなえた人はたくさんいらっしゃる。しかし、「失敗すること」が許されない環境では、「創造性」を発揮することができない。

 そこで、みなさんにぜひ呼びかけたいことがある。それは

「みんなで一緒に、大失敗することを目的としたプロジェクト」をやりませんか?ということである。

 「ワクを破って発想しよう」「イノベーションを起こそう」という掛け声をかけても、そしてそういったスキルや知識を教えても、「ワクを破った発想」も「イノベーション」も出てこない。なぜなら「失敗」が許されないからである。「ワクを破って」も、異端扱いされるだけでは、とみんなが考えるからである。

 そこで、「大失敗すること」をゴールとしたプロジェクトをやってみてはどうだろうか?「大失敗するのが君の仕事だ」「上からの命令だ、大失敗してくれたまえ」と言ってもらって初めて、組織人は「ワクを破る」ことにチャレンジできる。そういう風にすれば、これまで隠れていた創造性の芽がふきだして、最終的にこの「大失敗プロジェクト」は「成功」に終わるのではないだろうか? そう私は考える。